サルコジさんの、奥さんカーラさんが、欧州の社交界、、じゃなくて、政界に華々しくデビュー〜〜って感じですか・・・
カーラさんってほんま綺麗で、女優さんみたいやけど、なんだか、サルコジの前の奥さんにすげ〜〜似てる気がするんですけど、
気のせいですかね??
ニコラ・サルコジ
ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarközy)、ニコラ・サルコジフランス共和国第6代大統領、任期:2007年5月16日 –、出生: 1955年1月28日(53歳)
パリ、政党:国民運動連合 (UMP)、配偶:カーラ・ブルーニ
ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ(Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa, 1955年1月28日 - )は、フランスの政治家。
フランス第五共和政第6代大統領(2007年5月16日 - )及びアンドラ公国の共同元首。前国民運動連合党首。
フランスの大統領としては異色の新保守主義者、新自由主義者で、親米派とされる。ハンガリー系移民2世。尊敬する政治家は英国のトニー・ブレア前首相である。
1.経歴
1976年、パリ大学在学中に、ジャック・シラクの結成した保守政党・共和国連合 (RPR) へ入党する。
1977年パリ西郊の高級住宅地オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌの市議会議員に最下位で当選する。同年共和国連合中央委員に選出される。
1978年から1979年まで共和国連合青年部全国代理、1979年から1981年まで共和国連合全国青年委員会委員長。
1981年に弁護士資格を取得し、不動産を専門とする法律事務所をパリに共同で開設する。
1983年、28歳でイル=ド=フランス地域圏議会議員、ヌイイ=シュル=セーヌの市長に当選する( - 2002年)。犯罪の減少など一定の成果を上げる。
1988年、国民議会(下院)議員に初当選。ヌイイ市長と兼職する。
1993年、バラデュール内閣の予算相として初入閣。同年、ヌイイ市内で発生した幼稚園立てこもり事件が起こる。
この事件では、市長として犯人と直接交渉に臨み、人質の解放に貢献して全国的に有名となる。1995年フランス大統領選挙ではジャック・シラクから離反し、シャルル・パスクワに付いてバラデュールを支持する。
しかし決選投票の結果、シラクが大統領に当選したため、第1次シラク政権では冷遇された。
2002年5月、ラファラン内閣の内務・治安・地方自治相として入閣する。2003年3月19日に治安回復を目指し、軽犯罪の厳罰化と街娼の取り締まりなどを目的としたサルコジ法を施行させる。
サルコジ内務相の強硬な治安政策によって、国内の犯罪発生件数は激減し、実績を買われたサルコジは一躍、人気政治家になる。
2004年、財務大臣に異動。同年11月29日、RPRの流れを組む国民運動連合 (UMP) の党首選挙において、85%の得票率で党首に選出される。サルコジの権力増大を恐れたシラクによって財務相を辞任する。
2005年5月31日よりドミニク・ガルゾー・ド・ビルパン内閣の内相に就任する。同年発生したパリ郊外暴動事件の鎮圧にあたる。
この際、暴動に加わった若者に対して、「社会のくず (Racaille)」「ゴロツキ (Voyou)」などと発言したことが物議を醸すが、こうした強硬な態度がかえって世論の支持を集めた。
暴動の最中の11月12日にイフォップ社が有権者958人を対象に行った電話による世論調査では、国民運動連合の支持者の90%が、極右政党支持者の97%がサルコジ内務相の強硬姿勢を支持すると応えた。
2007年フランス大統領選挙に立候補。保守層や勤労世帯を中心に支持を集め、同年5月6日の決選投票で社会党のロワイヤル候補を下し、大統領に当選する。同月16日、フランス第5共和政下の第6代大統領に就任。
旧植民地のマグレブ出身の法務職員の法相への抜擢や、セネガル出身の黒人女性の副官房長への抜擢、野党である社会党出身の政治家の大臣への登用(エリック・ベッソン、ベルナール・クシュネル)など、これまでのフランスでは考えられなかった画期的な人事を行っている。
法務省では次官級の幹部が総辞職してこれの妨害に動くという事態となったが、これまで有色人種の国会議員が一人もいないという閉鎖的なフランス政界に風穴を開ける革命的なことであると北米のメディアに評されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
⇒ yutakarlson (09/30)